2023年9月26日火曜日

訪問介護ことりは…

かれこれ2年ほど、ブログを更新しておりませんでした。
みなさまお元気でしょうか。
ことりは…元気です!

お久しぶりなみなさまへ、突然ですがご報告があります。

訪問介護ことりは、2015年6月1日にはじまりました。
始まるときには、国分寺の仲間たちや介護の先輩方が手伝ってくれて、トンカンしたりペタペタしたり合間にそうめんを食べたりしました。
看板に大きく「訪問介護」と書いてあるのに焼き鳥屋さんだと思われたり、ことりの病院だと思われたり、マッサージ屋さんだと思われたり、同業の方から「訪問看護」と言われたり、正式な書類に「ことり」しか書いてなかったりして、そのたびに「今度はそう来たか!」と思ったりしていました。

訪問先の方にも恵まれ、大波・小波、ときに荒波に揉まれるような日々で、
人間関係の渦の中で揉みくちゃにされてみたり、人生訓を突然告げられたり、大真面目におもしろい話を聞かせてくれたり。あぁこの仕事をしていてよかった、この事業所を始めてよかったなと度々思っておりました。


おほほほほ。ここまで読んだ方は、
「あれ?ことり 店仕舞いか?!」と思われたかもしれませんね。


なんと、訪問介護ことりは、2023年10月1日に、訪問介護ことりと風に生まれ変わります!!

えー!!


生まれ変わるというのは違うか。

訪問介護事業所風ぐるまさんと事業を統合して、あらたなチームとして走り出します。
最小規模の訪問介護事業所として胸を張っていたことりでしたが、これからはそうもいっていられなくなります。

まずは訪問介護の事務所が西国分寺に移ります。今度はもっとまじめな感じの事務所になります。
そして、訪問介護ことりがあった一里塚バス停前の事務所は、これまたあらたな「場」として再出発すべく現在準備中です。この場所が大好きなので、何かここでやりたいと画策しております。これについては、また改めて。


いつも応援してくださっている方々、ちょっと気にかけてくださっている方々、
どうもありがとうございます。
これからのことりも、ことりと風も、どうぞよろしくお願いいたします。

2021年12月3日金曜日

訪問介護のヘルパーをやってみたいなら ~初任者研修情報~

ヘルパーをやってみたいと少しでも思うことがある人が、まずやってみることができるといいなと思い始めました。

今までは「中途半端な気持ちでやってはいけない」みたいな気持ちがあったのですが、気持ちが変わり始めています。「適当でいいよ」ということではもちろんありません。それについてはまた書きたいと思います。


というわけで、今日は資格取得情報です。


訪問介護のヘルパーとして訪問するには「介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)」以上の資格が必要です。

介護の資格には、無資格から初めて仕事をしながら資格を取っていくというやり方ができる職場もあるのですが、介護保険の訪問介護については有資格者のみと決まっています。全国統一です。


余談ですが、ことりには「訪問介護の話を聞きたいんですけど…」っていうお問い合わせがそれなりの量あります。大体そのお問い合わせをくださる方は、結果としてことりで働かないことが多くて、それって時間ばかり取られてどうなの?と思う方もいるかもしれないですが、おそらく調べてもよく分からないとか、情報を出そうにも出せない側の話とかもあってということだと思うので、関心を持ってくれて(さらに、ことりではないにしても、介護の仕事に就くことにつながるのであれば)わたしたちのできる範囲で話をするのも必要なことなのかなと思ったりもしています。基本的なことは調べてみてから来てほしいなと思うことはありますが。


それで、はじめの話に戻るのですが、訪問介護の仕事をするには資格が必要です。

資格をとるには時間もお金もかかります。市が無料で開催しているところもあるみたいです(近いところだと小金井市さんとか)。

国分寺市は補助金が出ます。詳細はこちら


令和3年12月1日号の市報(9面)に、研修の情報が載っていました。(興味のある方はここから先はご自分で調べてみていただけるといいかなと思います。立川市周辺に住んでいる人が対象、と書いてあります。国分寺市が主催ではありません。)


今、本を読んでいます。まだちゃんと読めていないので適当なことは言えないのですが、訪問しているケースのこともあり、今まで当たり前だと思っていたことを見直す機会になっています。

ではまた。

2021年11月30日火曜日

具体的な誰かの困りごと

 「BUNJOVI」というのをやっている。仲間たちと。

それはそれは個性的なメンバー(65歳以上)が集まり、地元の商店街のさんま祭りで舞台にも立って、結構な評判をいただき、「想像していたのと違った!感動した!」「うちのイベントにも来てほしい」とかうれしいことをたくさん言ってもらって、メンバーもスタッフも大喜びして次の歌も練習していた矢先に、コロナ。この方たちが集まって歌うなどということは、到底できなくなってしまった。けど、それなりにいろいろとやっている。歌以外。

そんなメンバーから、夜遅くに電話が来た。
どうやら酔っぱらっている。本人も自覚をしていて、あれこれ質問してくるのだけど埒があかないから「明日ことりに来たら?その時話そう。」と夫が言う。
数時間したらまた電話が来て、「明日来るって言ってたよ」と言う。
次の日、「なんか覚えてないけど、ことりに行くってメモがあったから来た」と言って、電話の質問と別の話をして帰っていった、らしい。


夫(社長)と話していたときに、
「あの人たちをもし介護することになったとして、今のやりかたで満足することができるかなって思ったら、できない気がした」と言う。

「満足って、誰が?自分が?メンバーの人?」
「うーん、よくわからないんだけど。」

事業所会議を開こうと思ったら、臨時の訪問依頼が入った。


この辺りの話を、それぞれがそれぞれに出会ったことをベースに、思いついたときに言葉にして、ということが最近続いている。

でも具体的な誰かを思い浮かべて、具体的な誰かの具体的な困りごとを知っているのであれば、間違った方向にはいかない気がするから、これはきっと大事なことだ。



2021年10月5日火曜日

対応のクセが、狭めているかもしれない

 「家族の負担感」→サービスの追加ってよくあるけど、それでよかったねってケースばかりじゃない。

介護保険に当てはめるとそれしかないってことになるけど、それしかないのは分かるけど、ということもある。理想の家族像とかの話ではなく、人と人のやりとりに第3者として関わる身として、自分自身に対して「君、考えるのをやめたの?」と思ってしまうことがある。



2021年8月13日金曜日

今日もことり

 生存確認のご連絡をいただきました。

ブログやインスタグラムなんかを更新せずに放っておいたので、「もしかしたらもうやっていないんじゃないかと思って。」と。

大変失礼いたしました。

まだ営業しております^^



連日の暑さでもクーラーをつけずにお過ごしの朋子さん(仮名)に、

「今日は暑いですよ、ゆで卵になっちゃいますよ」と言ったら、

「じゃあ茹でトモ子ね。茹でトモ子ができましたよ~って息子に連絡しようかしら」と返されたり、



期間限定の訪問が終了した方へ暑中見舞いのお葉書を出したら

(サービス以外では訪問してはいけないことになっているので)、

果たし状と見紛うような、迫力のある達筆のお返事を書いて送ってくださったり、



九州や広島での雨の被害を伝えるニュースを見た方が心配してくださり、

ヘルパーが到着してすぐに「もうそろそろ帰った方がいいんじゃない?」と言ってくださったり、



尿パックの中の尿を捨てる前に、おじいちゃんから量予想の対決を挑まれたり、



髪を短く切ったら「すごくチャーミングになったわね」と言ってくださるので、

調子に乗って「じゃあ今まではそうじゃなかったってことですか~」と言ったら、

「野暮なことを聞かないの」とたしなめられたり、


そんな日々を送っています。


落ち込んだりもしたけれど、

今のところ元気にやっています。

2020年3月9日月曜日

訪問介護を説明せよ


訪問介護のことを知りたい、興味があるので話を聞きたいというご連絡が何件かつづいて、わたしたちも知りたい・興味があるという方の話を聞きたいと思い、お会いすることがこのところ続いていた。

でも、訪問介護のことや日々のことを言葉にして説明するのがむずかしい。何回話しても、ぜんぜん言葉が現実を捉えていないような気がして、家に帰ると落ち込んでしまったりする。

何に落ち込んでいるのかと考えてみる。

あの人だったらもっと上手に説明できるんだろうな、と能力のある人と比較して落ち込む。
思ったような反応を得られないと、あれ?伝わらなかった?!と落ち込む。魅力を伝えられなくてごめんなさいという気持ちになる。(訪問介護さん、みたいなものに対して)
自分自身おもしろいなと思って仕事をしているのだけど、何を、どの辺を話したらそれが伝わるのかがよくわからない。


この情勢下で、夜に開催される会議や研修が中止になることが続き、少し時間ができたので、読みたいと思っていた本を何冊か開くことができた。
本を読むのが好きで、とても好きで、でも本を読むのには心や体の準備が必要だったんだなと思った。読めない時、というのが確かにある。物語だったら読めるという時もあるし、学術書が読めるときもある。読みながら考えられるときもあるし、書き手の方の癖のようなものを追ってしまう時もある。

それで思う。みなさん言葉にするのが上手だな~と。
(この表現自体、小学生みたいだ…いや小学生でももっと上手に気持ちを言えるなぁ)

言葉は、箸みたいな感じがする。
お鍋をして、しめにうどんを入れて、あーごちそうさま!って食べ終わる。お箸が上手な人は、汁の中に泳いでいる野菜や魚の欠片や短くなったうどんもつまんで、食べて味わえる。それをみて、わたしは「それが入ってたの、知ってる。」「よく取れるね」と思うんだけど、あるのを知っているのと、それをつまみあげることができて、しかも味わうことができるというのは全く別物だと思う。お玉で汁ごとすくって飲んでしまっては、違うんだなぁ。

言葉にする練習の一つが、きっと本を読んでたくさんの表現に触れることなんだと思う。
訪問介護を知ってもらうためには、もっと本を読むべきだということになる。
本を読むために、心の余裕を作るために、仕事をしなくていい、ということにはならない。


訪問して、利用者さんから元気をもらうということがある。元気づけてもらうのではなくて、何となく元気になってしまう、こちらが。そういうことがある。なんでだろうね、あるよね~みたいな話になる。

「元気を吸い取ってしまってるんじゃないか」という人もいる。
わたしが最近思うのは、照り返しじゃないかということ。(こちらがケアするしないにかかわらず)相手の命が・時間が脈打っているような時間に立ち会えたときに、その光を浴びているんじゃないかと思う。
やっぱり生活は「生命の活性化」なのかな。

2020年2月19日水曜日

事例検討会がすきです

先日、国分寺市内の訪問介護事業所有志が集まり、事例検討会を行いました。
昨年の秋頃から、2カ月に1回のペースで行っています。
事例を提供する人は個人が特定されないようにすること、参加する人は会の中で知り得た情報は口外しないということを確認して、スタートします。

仕事のあとに集まって、事例検討会。
まず発表者が事例を説明し、抱えている課題を提示。
集まっている人たちからの質問を通してその事例についての理解を深めながら、課題をほぐしたり解決していくための視点や案を探していきます。

終わったら、みんなでご飯。
でもだいたい、ご飯を食べている最中もアーダコーダが続き、
時間が来るとパーッと解散!

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わたしたちが初めて事例検討会を経験したのは、
国分寺市の万葉の里で行われている高次脳機能障害に関する研修にお誘いいただいた時のこと。

ある方のケアで知り合った事業所の方から、「今度事例検討会で発表をするので、よかったら来ませんか?」とお知らせをいただきました。


いろいろな職種の方が集まって、「この方(事例の中の当事者の方、そのご家族)が地域でその人らしく暮らすために、わたしたちはどんなことができるか」ということを真剣に話し合う空気。
その帰り道の興奮は今でも忘れられません。

会場を出たときに「わたしたち、もっと頑張れることがあるような気がする。」と、
エネルギーが満たされている感じがありました。

何回か参加させていただく機会を経て、「こういうこと、介護でもできないかな」と話し合い、関心を持ってくださいそうな方へ声をかけて、始めてみたのが私たち流の「事例検討会」です。

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1月に開催した時、事例を発表してくださった方から、
「今回事例を提供したケアは困難に感じる要素が多く、
ケアを成立させるためにどうしたらいいか(技術や手順、方法)、ということに頭が向いていた。
でもみなさんと話をしながら、こういうこと(その方の気持ち、信頼関係)を考えるのを忘れていたかもな…」というお話が最後にでました。
(言葉通りではないので、おっしゃっていたこととズレがあるかも。ごめんなさい!)


そうなんです。
事例検討会のいいところは、答えが出るところではなく、
自分が作ってしまった枠に気付いたり、一生懸命になりすぎて見えなくなっている死角に気付いたり、新しい捉え方を発見したりするところだと思います。

それぞれの経験を少しずつ持ち合って、分け合う。
一つひとつのケアが、似たように見えても全く異なっていますし、同じようなケアをしても相手の方の状況や環境によっても、対応するヘルパーによっても、日によっても、タイミングによっても結果は全く異なるもの。
仲間が集まると、経験値はぐんとひろがります。

尊敬できる先輩や仲間がいる国分寺で、事業所を開いていることを誇りに思う今日この頃です。